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わっはっは、ついにデジカメを落手したのである。左様、昨今話題のデジタルカメラに他ならない。これは、おおいなる自慢なのだ。
先月のこと。知人と広島へ赴きぶらぶらと街を徘徊していた矢先、とりわけ用向きがあった訳でもなく、とあるパソコン屋に立ち寄った。あれこれと品物を見回し、買い物をする意志もなく無責任な批評なぞくれながらエスカレータを上る二人は、安普請の棚に積み上げられた箱の前を通り過ぎ、ふと足を止めた。
デジカメといったら、MDプレイヤーや携帯電話と肩を並べる現代の新鋭機器である。インターネットに端を発したパーソナルコンピュータの驚異的な普及にともない、一躍脚光を浴びた新世代の写真機だ。
使い捨てカメラやAPSカメラなど、従来の感光フィルム写真機も負けじと未来型機種を世に送り出す。一見便利なようで、しかし実は専用の消耗品が必要だったり、あるいは即日仕上げを謳ってもDPEに嘆願せざるを得ない現実はなにも変わらない。
一方でデジカメは、パソコンとネットワークを構築すれば、即時のもとに記録した画像を取り出すことができる。画質にかかわる不満もいまどきでは200万画素を超える高解像度が実現され、デジタル処理を前提にした写真ならば、一般人のレベルでも、納得できる写真を望める。 ただし写真機で撮った光学的な独特の美しさを得るには些か尚早と言わざるを得ない、とカメラファンの名誉のために付け加えておこう。
パソコン屋には数万円は下らない高機能を持ったデジカメが所狭しと並び、唯々垂涎に明け暮れていた。 しかし、それは広島のエスカレーターを上がったそこにあった。狭い通路を二、三歩引き返し、わっはっは、遂に手に入れたのだ。くどい。
数万円?、そのような大金を支払うことなど決まって不可能。デジカメの代価は、たったの4,500円也。諭吉様の半分に満たない些少の金銭である。
如何か。引き替えにゲットした画素数は、はっは、僅か25万画素でしかなく、それは手頃なデジカメの実に5分の1以下。
「25万」という数値が何を示すか。うむ...このデジカメは極めてヘボである。少なくとも性能的にヘボとしか言い表せない。が、その寸法はカセットテープより小さく、数百枚の画像を記録することは可能。普通の写真に激しく劣るプリントしかできないけれど、パソコンのモニターで見る限り、何に不満があろう。
すなわち、衝動買い@4,500円のヘボデジカメは、いわば画像メモ装置なのだ。
完全に上着へ収まるコンパクトなサイズ。大量の画像を記録しても乾電池以外の消耗は無く、帰宅の直後に画像を見ることが叶う。もちろん費用は不要。出かけた先で遭った出来事を、そのままの光景で持ち帰るための道具と解釈し、あとで文章や絵にする素材として扱う。老化してきた脳の記憶替わりに、と専らポケットへ忍ばせて歩く昨今だ。
白状すると、ひところ写真に凝った時期があった。大きくて重い一眼レフを肩に提げ、やれ夕日が沈む、それ花が咲いた、と嬉々として東奔西走してみた。機械式のシャッターが放つ音に酔いしれ、安くない「日本カメラ」のページをめくるのだった。それは面白かった。 けれども出来上がった写真といったら、4,500円のヘボよりも、更に輪をかけた大ヘボでしかなかったのである。ちくしょー。
ところでデジカメであるが、付属の画像記憶メモリが小さく、15枚も撮影したらギブアップしてしまう(2MB)。これでは役に立たないので大容量メモリを買いに行ったら、なんと1万円也。はやり只ほど高くつくモノは無い、か。合掌。
* デジカメ *