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床屋

 「いつもの感じで...」と、常套句だけで注文を終えてしまうお店がある。それ以上の相談もなく淡々と作業は進められ、約一時間で完了。お客と店の者は、おおよそその仕事とは関係のない会話に終始するのである。
 専用の椅子へこしかけさせてもらいながら、野球がどうなった、競馬がどうだ、最近の国会は云々などと全員が評論家になりきって、心地よい時間が過ぎてゆく。「駅前にイイ店ができたよ」とか「錦帯橋でイベントがあるね」と思わぬ情報を得ることもある。
 これを床屋談義という。
 正確に動く手で理髪するあいだ、お客の退屈を取り除いてくれる巧みな話術には、毎度、感心するばかり。埒もない話のようでも、実は有意義な会話だったりするから床屋というところは面白い。

ああ、なんて気持ちいい!  さて、桜の季節も終わりを告げ、来る初夏に向かって日々の気温は上昇中のこのごろ、代わり映えしないいつもの感じ---髪型を少し変えてやったのである。と言ったって、まさか今時の金髪にする勇気も無く、さりとてパーマネントを施す時間も無い。これで出来るのは丸刈りか、刈り上げスタイルというものだ。
 無沙汰の果てに訪れた床屋では、お店のママがそれを察したか、座るなり「どうする?」と問おた。まったく以心伝心。見透かされているようではないか。
 かくして「激しい刈り上げにして」と新たな注文をして、左様なアタマになった。
 これは気持ちよい。ちと薄ら寒いことにさえ慣れればとても軽快。日頃の行動や頭脳の回転まで機敏になったような気がする。鏡を見ては『うんうん』と頷き、ご婦人が美容院で髪型を変えたら、きっとこんな気分なのだろうと勝手な想像を愉しみ、手で頭髪をいじくり回すのであった。今年の夏が楽しみになってきた。
 かかる床屋さんも、しかし新しい技術やサービスを模索しているそうな。ただお客の髪の毛を短くするだけではない時代なのだそうだ。
 ネイルケア。
 ネイルアートと呼ばれる現代のファッションスタイルは、昨年暮れのベストネイル大賞に「あゆ」ことタレントの浜崎あゆみが選ばれたことで、若い世代の間で脚光を浴びた。一方で、「爪は健康のバロメータ」と称して、保健や医学の世界では早くから注目されていたことはご存知にちがいない。
 接客の中で「手」を差し向けることが少なくない業種の者は、やはり美しさや身嗜みが気になる。きれいな手、きちんと手入れされた指や爪を保つことは、人に接する多くの場所や機会で大切なことではないだろうか。ご婦人だけでなく、男であってもそれは同じだろう。
 床屋さんが、放っておけば伸びる髪の毛を理髪し、同じように伸びる爪を手入れするのは、けだし当然のアイディアかも知れない。
 今日、試しに散髪してもらった後、少しの時間で爪と手の手入れをしてもらった。刈り上げた髪の毛と、見違えるほどきれいに見える自分の手をなんだか誇らしく思ってしまう、おめでたい休日を過ごしたのである。
 曖昧に返事をしながらの愉しい会話に交えて「髪の毛、ちょっと減ったねぇ」の一言にドキッとしながら、寝ぼけたふりをして聞き流す床屋談義の渦中。




* 床屋 *