![]()
ある画廊に立ち寄った。別にどうという理由はない、歩いていて、たまたまウィンドウにあった絵が目にとまったから中へ入った。かのバブル経済が極まるころ、某百貨店の七階ギャラリーでの出来事。
絵が好きなのである。価格が高いとか安いとかは問題ではないし、上手か下手かも問題ではない。絵は趣味である以上、それに感動するかどうか、言いかえれば好きか嫌いか意外に判断基準はない。趣味とはそういうものと考えている。
ところがどうだ。
件のギャラリーで接客をしてくれたアルバイトまがいの可愛らしいねえちゃんは、本当にそう思っているのか、口を開くたびに「この絵は今一番人気があります。今買っておけば月々ン万円で、何年か経てば...」と繰り返すばかり。
せっかく稀代の名画を観に訪れたのに、すっかりシラけてしまった。どんな画家がどんな場所で描いたのか、そんな話を聴かせてくれるならまだしも、大衆の人気がどっちを向いていようと大きなお世話である。値段も然り。高けりゃ買わないし、感動と価格がつりあえば、言われなくたって買いますよ!
幾度かそんな目に遭って以来、画廊に足は向かなくなってしまった。
転じて焼きもののお話。
絵画と違い焼きもの、とりわけ和食器は、一日三度のご飯のときに必ず使うものなので、とても身近な存在なのである。
どの道にもベテランという人はいて、そう呼ばれる方々から見れば小生如きが持っている知識なんぞ、それこそ笑止千万。きっと一蹴されるに違いない。
けれど、その器に何かしらの想い出や思い入れがあったりすると、他人様はどうあれ、持ち主にとっては最良のモノではないだろうか。そこには唯「好き」という理由さえあればいいと思うのだが。
土モノに興味がある。
昔からそうだった訳ではない。窯変によってひん曲がり奇想天外な焼け方をした、まるで子供の工作のような土器には、正直言ってどこが良いのか理解の範疇を超えていた。見ても触っても、使ったとしても、興味の的にはなり得なかった。
ところが真夏のある日、ひょんなことから備前焼の里、伊部を訪れた。
ひとりの作家の窯元をたずねてみると、たまたま隣の小学校の授業で窯に火を入れているから見に行くかと誘われたのである。
水溜まりが瞬時に干上がってしまいそうなほどの暑さのなか、「炎はこうやって操るんです...」と、その作家は汗も拭わずTシャツ姿で笑って説明をした。感動的なひとときだった。
たったそれだけの一日が「好き」を喚起したというわけだ。同じ物は二つと無く、窯から出してみなければ判らない「土もの」は、たしかかに趣味の対象になりやすい。
しかし、それ以外の何かがある。そのこそが個の価値観であって、他人様と比べたり競ったりはできない、道楽、趣向の世界なのだ。
画商でもなければ、陶商でもないけれど...世にあまた、アマチュアリズムを愛するおおいなる素人諸君。ご同慶、万歳!
* 素人の焼きもの趣味考 *