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朧気な意識の中で梢(こずえ)の野鳥が芳しく啼いた。どこからともなく朝餉の匂いが漂っていた。薄目を開け自分が今いる場所を思い出そうとしてみた。小さく寝返りをうつと、ひんやりと大地の温度を感じた。そしてテントの中で横たわっていることに気付いた。しかし...、
『なんでこんな所で眠ってるんだ...』
もう少し目を覚まし、昨日のことを思いだしてみた。枕にしていた布に手をやったら、すべてを思いだした。
『そうだ、キャンプに来たんだった。ここは二鹿の山間----』
おおよそ午前5時半ぐらいか。夜は明けている。
身を起こし、テントから飛び出すと先輩や仲間が笑顔で迎えてくれた。朝餉の仕度に勤しむ炊事班の隊員と顔を会わせると、口々に元気良く「おはよう!」と声を掛け合い、今日の一日の活力を分かち合うのであった。今夏に行われたボーイスカウト野営大会の一幕。
いまから30年ほど前。ボーイスカウトへ入隊して以来、今年まで。現役時代は言うに及ばず毎年夏になると催される野営大会に顔を出すことが習慣になっているのである。今年の夏にも、お呼びがかかった。いや、今年の夏に限っては自ら進んで訪れようと思い立った。なにしろ近頃といったら寝ても覚めてもWindows。いいかげんに脳味噌がデジタル化してきたような気がして気分がよろしくない。
人、物、事、すべからく遍く世は1と0だけではなく、感情、第六感、知性、ユーモア...そうした一見すると無駄なファクターがあらゆる物事の根底にあり、すべてそこから出発しているはず。コンピュータを始めとする文明の、時代の利器は、それを具象化するための道具でしかないのではなかろうか。つらつらと思う昨今なのであった。
生来、山や自然が大好きなのであって、早春から晩夏にかけては山女魚と戯れるまたとない機会。本来なら休日のたびに入渓し、釣果の是非に
かかわらず、命の洗濯に余念を持たぬ季節のはず。それが今や、この有様。ひとつここらで一度、ドタマをクールダウンしてやろうという魂胆。
しかるして出立前夜。半分徹夜でもって山女魚釣り道具の仕度なんぞに時を過ごし、お世話してるホームページの更新やら修正やら全部済ませ、準備万端。当日の朝といったら眠いのなんの。ま、好きな道楽に身を投じるので、文句など言っていられぬ。
という訳で、束の間の充電は始まった。携帯電話も圏外表示のエリアなのである。わはは。
山があり川が流れ、野鳥が啼いて虫が飛び、蒔きを燃やして地面に寝そべって...そんな生活が大好きで暮らしていたはず。なのに、パソコンで仕事をするようになってからは、少なくとも山の中で終日を過ごすことなんて無くなってしまった。
最初はそれが窮屈で、パソコンは面白いと感じる一方で性に合わないと思っていてたのに、毎日々々繰り返していたら、いつの間にか当たり前になってしまっていたパソコン生活。
それはそれで仕事であるし、少しでも役に立てば良いと思っていたけれど、こうして山に入って暮らしてみるとね、やっぱり人間----生き物はこうやって生きるのが一番良いな、と。そんなことをしみじみ感じた2日間だった。
なにしろ連絡の取りようもない山の中だから、なんとなく仕事の不安を感じながらのスタートだったけれども、そう、おおよそ1時間もしたら現役の当時を思いだした。なんとなく感覚が戻ってきたら、それこそ昔取った杵柄。
そこいらの竹を切って、キャンプサイトの柵やら門やら、釘を使わない麻ヒモだけで作り上げる野営工作。ダラダラしてる子供を怒鳴り飛ばして、時間になったら今度は炊事班のお助けマン。夕刻はロープの結び方やボーイスカウト活動のセンセ役。キャンプファイアでは歌を唄って、気分はすっかり数年前。おおいなる命の洗濯をば愉しませてもらった。
しかし、そんな濃縮された一泊二日だったせいか、帰宅翌日はまたぞろ意識朦朧。気分刷新は出来たけれど、いつものパソコン生活に戻るために同じだけ時間がかかってしまった。
さーて、この後はクリスマスハウスの仕度もあるし、バリバリ仕事してやろう。
指にできたマメの跡が、夏の思い出の証のように思える晩夏の昼下がり。パソコンの前にて。
* 夏の思い出 *