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花柳界


 無造作に掴んだ一升瓶の蓋を取り、霊峰月山は、曲がった備前のぐい呑へなみなみと注がれる。己が手で台所から搾取せしめた漬物か、はたまた蒲鉾の切り身か、ともかく夕餉の膳はそうして始まる。のらりくらりと一升瓶を傾けては、おおむね三杯のぐい呑が空いたころ、ようやく御飯に箸が届くのである。
 かくて近年、まったく欠かしたことのない米の酒ではあるが、専ら在宅にて呑むのみで、夜の歓楽街を訪れることは滅多にない。そう、一年に 山形の純米酒 「霊峰月山」  数度、それも何方かの誘いがあればに限る。
 しかし、午後7時にメンズUのシャッターを降ろし、自転車に跨ってゆく道中は、ほぼ毎夜そこを通って帰宅する。
 ひところの好景気にくべると些かの翳りは否めないものの、呼び込みの兄さん方、あるいは足早に出勤する姉さん方の姿を目にすると、いっぱしの花柳界と呼べる華の乱舞が見られる。
 聞けば岩国のその昔、港町として栄えた時代にルーツを辿れば、何故にこうまで多くの飲み屋があるか解せるという。

 さて、見るべきは件の華麗な姉さん方だ。
 極めて少ない面積の生地で仕立てた衣装を身にまとい、小さく閉鎖的なドアから艶めかしく半身をのり出して行き交う人々に話しかける姿は、そこかしこから眼中へ飛び込んでは激しく右脳を刺激する。なぁに、おおいに官能的であるに違いないけれども、敬服すべきは姉さん方のプロ意識なのである。
 生業とはいえ完璧な化粧と着こなしに身を整え、背筋を伸ばして美しく歩く姉さん方には、見習わなければならない何かがあると思えてならない。
 いや、水っぽい洋服のセンスなぞ如何ようでも構わぬ、仮面の如き厚化粧にも大した興味は無い。
 が、たとえ自身が睡眠不足だろうと、たとえ理由無く面倒であっても、必ず午後七時には朗らかに笑ってみせるその気質こそ、彼女たち一流の美学なのだ。
 よろしいか。
 美しくありたい...そんな甘いものではなく、美しくなければならない姉さん方の根性には、それなり一本の筋が通っているのである(ただし昼下がりの姉さん方はここで触れない。例外はあるけれど概して物凄い)。
 そもさん、ふたたび商売だろうと問われるか。さよう如何にも商売であろう。けれども、少なくない金銭を費やしてでも花柳界に戯れようとする客人は、実に星の数ほどいるのである。何が目当てかは知らんが、黙して眺める限り、その身嗜みは筋金入りと見受けるのだが。
 しからば、きょうも自転車でネオン街を通り抜けるとしよう。金曜日なら増して華やかな道中が愉しめる。
 そうして家路を辿り、やおら水屋の漬物を物色する今宵なのであった。南無三。




* 花柳界 *